うっすらと夜の帳が包む演習場に静かな風音が響く

今日はもう全ての部隊の訓練時間は終っている。
誰もいないはずのそこに、だが大きな黒い影がゆらゆらと舞っている
まったく・・どこの新入りだ?過度な訓練は害あって一つも身につかないというのに
溜息をつく。指導教官の冠位を頂く身とあってはこのまま見過ごすわけにも行くまい
それにたった一人の兵の事だろうが大事な部下だ
適わぬ望みなのは知っていても誰ひとりかけることなく生きて帰って欲しいから
影はまだ揺らめいている。
小言ついでに少し指導してやるか・・・と改めて影の姿を確認して見覚えのある顔だと気がつく
あれは確か亥ノ上の・・・

「今度二等兵がうちに配属されてな。大きなガタイの割に機敏でおっとりしてるんだが意外と器用で面白い奴なんだ」

仕事帰りに嬉しそうに語る亥ノ上の顔がよぎった。
あいつが自分の兵を褒めるのは何時もだが、そう褒めた兵は大概が今でも生き残り何らかの武勲を挙げている
興味が出たので咎める前に少し観察する事にした。
遠目からでは判らなかったが、よく見れば彼はかなり大きな身の丈に近い大振りの剣を振り回していた
訓練では基本槍と軍刀の扱いしか教えない。支給される武器がそれだからだ。
扱いの難しい大剣はよっぽど訓練をつんでいるか元々剣技のあるものしか使わない
見る限り彼の型は酷く幼稚でとても実戦向きだとはいえなかった
どこであの武器を手に入れたのか、そして何故それで訓練しているのか
面白い
「試してみるか」
演習場と言っても金網で囲っただけのただの広場に過ぎない、ライトはついているがまだそれを必要とするほど日は翳っていない
だが
彼にとって死角になる角度から走りこみ素早く接近して手刀をふりおろす。その一瞬だけ殺気を乗せて
「ぐあっ」
「一点に集中しているとこうなるぞ、気をつけろ」
振り下ろした手は右の肩に深く食い込み男を悶絶させるには十分のようだった
ガラン
と金属音を立てて大剣が地面に落ちる
「い・・いぎなり何ばすらんじゃか!!・・・・え!しょ・・少佐殿!し・・失礼しました!!」
肩の隊章と星を確認したのだろう振り返った彼はぺこぺこと頭を下げだした。それはへつらう物ではなく真剣に平伏しているようで
先ほどまでの殺気だった顔と今のギャップが酷い。俺は思わず噴出していた
「お前名前は?」
「え・・あ・・いっ     亥ノ上隊所属 射古馬恩児二等兵です!」
「恩児か、俺は寅桐牙紋だ、階級は関係ない。好きに呼べ。肩っ苦しいのは苦手なんでな」
「えっ?
先ほど一撃入れた時の一連の流れでこいつが相当面白い事はわかった。
俺は確かに背中に一撃を与えるつもりでいたのだ。殺気だけで瞬間的にこいつは自分の急所を外した
外す場所が肩ではしょうがないが、その反応そのものは生死を分けるに十分な因子だ
「お前大剣が扱いたいんだろう?」
そういいつつ地面に転がる恩児の剣を拾う
いくらか握りが太い。大柄の恩児に併せてあつらえたようだ
「そ、そうです・・俺はその武器で戦いので・・・」
何か想いいれでもあるのかそう言いながら申し訳なさそうに目を伏せた
「悪くない武器だ。だが扱いを知らんのではどうしようもないな」
「はっ・・はい・・・」
手の中心を併せるようにゆっくり握りこむ。
そのまま手首を横に流し剣が地面と水平になるようにしてから剣先をブらさず保ったまま静かに肘を右肩側に引き上げる
「見ておけ」
ほんの少しだけ剣先を下げそこから右手首の反動を使って横に払う
勢いで剣が流れるのを今度は左の手首の力で引き戻し上へと切り上げる
浮力を持った剣を、今度は両の手に力を込め下へ叩きつける
叩きつけた反動を利用して自身ごと前方へ回転しながら中へ舞いそのまま大上段から地面へと体重を乗せて剣を振り下ろした
剣先を地面に叩き付けないように止めに入ると、ずん、と鈍い重みが手首にかかる
ふぅ、と息を吐く。
いい剣だ。重心のバランスも悪くないし、少し手入れすればいい獲物になるだろう
「大剣は自分の力で切る物じゃない。剣の重さと自分の力をうまく利用して薙ぎ払うための武器だ。わかるか?」
体勢を元に戻しながら恩児に振り向く
「はぁ・・・なんか凄いです・・・」
「凄い・・じゃない。これが基本だぞ、覚えろ」
そう言っても恩児はぽかんと口をあけたまま手に返された剣を見つめるだけだった
ああもうこういう奴は・・・・!!
「構えろ恩児。さっき見たのを踏まえて俺に切り込んで来い」
体が動けば頭もついてくるだろう。そう踏んでまだ呆然と剣と俺を見比べている恩児にそう告げると
びっくりしたようにやっとこちらを見た
「しょ・・少佐殿に切り込むなんて恐れ多いです!・・」
「階級で呼ぶな!これは私的な鍛錬だ。呼びつけでもなんでもいい名前で呼べ」
親しみで言ってるわけではない。階級で呼ぶということはそれなりの訓練を特別視で一兵につけているという事になるのだ
後々厄介ごとになりかねない。あの煩い戌の人事がどこで見ているかわからないためである
「え・・でも・・・」
「何でも構わんから官位では絶対に呼ぶな。判ったな」
威嚇するように睨みを効かせると、恩児は観念したように「はい」と頷いた
だが一向に構える気配はない
「あ、あの・・えーと・・・まだ判らないんですが、俺に稽古をつけてくれると仰るんですか・・?」
「そうだ。さっきのを暫く見てたがあれでは戦地で生きて帰れん。俺はそういうのを見過ごせないんでな。形にぐらいはしてやる」
「も・・もったいないです・・。牙紋先生のような強い方になんて・・」
おどおどと畏まる恩児にああ・・と思う
亥ノ上が面白いと言ってた意味がようやく全てわかった気がする
恩児には向上心と言うか野心が欠けているように見える。だがそうではない。でなければ自己鍛錬などしない
そのくせ何かを得て強くなろうとはしない。与えられてもそれを取る術を知らないのか
自分で自分の価値に気がついていない・・・本当に面白い
「剣を構えろ。これは俺がやりたいからするんだ。だから付き合え。これでは駄目か?」
「いっいいえ!!そんな滅相もない!ありがとうございます!」
はじかれた様に答える恩児にうんうんと頷く。本当にまっすぐな奴だ
少し扱い辛い所はあるが根はしっかりしてる。少しだけのつもりだったが、本腰を入れて教えてやるか
たまには亥ノ上に貸しを作るのも悪くはない
「では、構えろ。どうやっても構わん、殺す気でやれ」
「はい!牙紋先生!」
真似をしてるつもりなのだろうが、まだかなり不器用にだが真剣な面持ちで剣を構えた恩児の姿に
低く手刀を構えて「こい!」と叫んだ

「行きます!」
一瞬の間、恩児の体が傾ぐ。体重を乗せた剣先が空気を振るわせる
だが重みがのっているだけだ。おぼつかない構えからでは軌道も読みやすく
軽く身をそらすだけで易々と剣は空を切る
「腕の力で振ろうとするな!刀の重みを使え!」
「はい!先生!」
もう一度最初から構えなおそうとするのを見て、恩児の懐へ飛び込み手刀で軽くわき腹を薙いだ
「うわあ!?」
「殺す気でといったはずだ、気を抜くな 剣を構えるだけで隙がある。戦場で敵がまっていてくれると思うか?」
「す・・すいませ・・」
律儀に頭を下げようとする恩児の襟首を掴んでそのまま地面に叩き伏せた
「気を抜くなと言っている!俺を敵だと思って全力でこないとそのまま地面に沈んでもらうぞ、いいか?!」
言うなり脇腹を蹴り上げる
「がっあ!?」
「敵はお前を生かそうとするのか?仕留めるつもりでかかってこないと病院送りじゃ済まんぞ?」
ギロリと睨みつつそういうと恩児ははじかれたように声を上げ寝転がったまま剣をこちらに向けて突いてきた

 悪くないな

一歩後ろへ飛ぶ
大剣に必要なのは距離だ 敵を必要以上に近づかせてはならない
「だが甘い」
それではダメだ。身を起こすことが出来なければ次の一手には繋がらない。
先の先を読んで戦わなければ無駄に消耗するだけ・・まあ、流石にまだ恩児には無理だろう
ほんの少しだけ猶予をやろう
後ろへ飛んだ反動を利用して体をひねり空を斬った形で泳いでいる状態の剣を恩児の手首ごとまわし蹴り抜く

「う・・・わああああああああああああ!!!!!」

絶叫とともに派手な音を立てて支えを失った金属ががらんと音を立てる
「今のままでは死ぬぞ。体で覚えろ、恩児」
手首を押さえてのたうつ恩児の背を踏みつけ冷たく言い放つ
実際このままならこいつは確実に死ぬ。
甘えはすべからく死に繋がる。一編たりとも心を残しては戦地では戦えない

「どうした、そのまま死ぬか?」

嘲笑に近い声でそう問いかけた時、足元に転がる巨漢からがゆら・・と何かが湧き上がる気配がした
と同時に足元から質量が消える
一瞬だった
瞬間に恩児は体を転がしこちらへ威嚇の目を向け唸り声を上げる
それは本能かそれとも極限からくる底力か
・・だが次の行動へうつる前に恩児はがっくりと、今度こそ完全に崩れ落ちた

「痛ぇ・・・・」
手首を押さえてうずくまる恩児の背を今度はゆっくり抱き起こす
「最後の殺気を忘れるな。今日はこれでしまいにしよう」
「・・先生・・?」
「お前に一番たりない物は気持ちだ。今日はそれを実感してもらった。それだけだ」
唖然としてこちらを見上げる恩児をよそに手首の様子を見る。力目一杯のつもりだったが骨などに異常はないようだ
流石は午、といった所か。想像以上に頑丈に出来ているようで安心する
「2日もすれば剣が持てるようになる。それまで腕の筋肉をつけておけ、次は技術的なことを教えよう」
ふに落ちない顔の弟子の頭をぽんと一つたたきながら、俺は薄暗くなった空に上る月を見上げる

これで暫くは暇と言う言葉と疎遠になれるだろうか。知れず、笑みがこぼれていた





 

 

十二星座・干支

inserted by FC2 system